2021年1月

窓雪三日

 「窓雪三日」という言葉を思い出す。窓に雪がつくと三日間は吹雪になるということわざだ。
昔、吹雪が何日も吹き荒れた時は雪囲いで暗くなった室内では、日中でも電気の灯りが必要だった。
何年も前から同じような風景を見てきたであろう雪国の人々の営みが無言でよみがえってくる。

 昔に比べて、快適な冬の暮らしがある。暖冬続きで忘れかけていた雪国の冬の厳しさ。
市内の道路は除雪で積み上げられた雪の壁ができ、見通しが悪くなっている。店の出入りが雪の陰で見えなくなる。

 1月上旬、県内でも有数の豪雪地帯尾花沢市の積雪は180cmを超えた。
そばの栽培も盛んで「おくのほそ道 尾花沢そば街道」がある。おいしいそばをいただいた。

 明日は青空が期待できそうな空の色。畑の深い雪の中には春の緑の野菜たちが眠っている。

笹野一刀彫の里

 米沢市笹野地区にある笹野観音堂は、昔、笹野山(斜平山なでらやま)の中腹に創建されたと伝わる。麓の現在地に大同元年(806)建立され、弘仁元年(810)落成した。現在の堂は、天保14年(1843)第12代米沢藩主上杉斉憲により再建されたもので、大きなかやぶきの屋根と精巧な彫刻が目をひく。古くから地域の鎮守として信仰を集めてきた。長い参道があり、境内には諸堂や多くの石仏、石塔がある。

 毎年1月17日に行われる「笹野観音十七堂祭」では、スギの葉を積み上げた護摩壇に点火し、笹野花を花の舞をもって献ずる。
炎や白煙がたちこめる中、無病息災などを祈願する火渡りの荒行が行われる。

 伝え聞くところによると、落成当時から冬期間供える生花がなく、大工が山から材木をとってきて、花の形に形取って木に挿してまつったという。農家ならば五穀豊穣を祈った。初めは花弁も少ない簡単なものであったが、次第にらせん状に細かく削るようになった。それはアイヌのイナウ(1本の木を薄く削った御幣のようなもの)の削りかけの技法に似ているという。
元祖一刀彫の家「鷹山」のいろりには、イナウがある。上杉景勝が会津から米沢にうつった翌年、慶長7年(1602)から、毎年蘇民将来を彫刻させ疫病がおこらないようにしたという。仏花としてツゲの枝に挿した削り花と蘇民将来はいずれも信仰用具であった。笹野観音の参道には、蘇民将来の擬宝珠がある。

 武士だけが製造していた笹野彫を、第9代米沢藩主上杉治憲(鷹山)は、農民に農閑期の副業として奨励した。鷹は禄高があがるように、セキレイは子孫繁栄、亀は長生きするように、にわとりは早く起きて働きなさい・・など、一つ一つにいわれをつけて勧めたという。材料を削る音がする囲炉裏端。男の人が削り、女の人が絵付けをし、行商して売り歩いたり、観音堂の十七堂祭の門前に、また七軒町に店が出た。笹野花は仏壇に一刀彫は神棚に供えて息災を祈願してきた。
削りかけの技法は、この土地の伝統を伝える。木の特質を生かし、独特の刃物を使い、次々と見事に彫られていく。

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