VICの窓から

2026年2月

長者山

 2月17日、八戸地方のえんぶり組が集合するのは長者山新羅神社。稲の豊作を祈願する神事芸能「えんぶり」が奉納される。神社は市中心部の杉林に囲まれた小高い山の上にある。山には義経伝説があり、地元では長者さんの名で親しまれている。
参道の一つ男坂は、角力が運んだ石段で、ごろごろした大きな石は、弁慶が運んだ力石と伝わっている。江戸時代創建の神社では、騎馬打毬・相撲・八戸三社大祭・えんぶりなど古くから様々な祭祀が行われている。大正13年(1924)八戸大火があり、子供達のために始められたという「森のおとぎ会」は、夏休みの早朝、神社の桜の木の下に集まり、昔話や紙芝居など熱心に聞いたり楽しんだ後は、町内ごとに清掃して帰ったものだった。
子供達の成長を見守る大人たちの思いが地域愛を育んでいく場所でもある。

烏帽子

 太夫と呼ばれる舞手がかぶる烏帽子は、馬の頭をかたどったもので、描かれている絵柄(田植えの様子や縁起物)は、それぞれのえんぶり組で受け継がれてきており、丁重に扱われている。伝統形の「ながえんぶり」には、先頭に立つ太夫(藤九郎)の烏帽子に赤い牡丹や白いウツギ(卯の花)の花がついたりする。「どうさいえんぶり」には前髪という五色の房が付いている。舞い続ける太夫の烏帽子には、神が宿ると教わってきた。

伝統を尊重

 えんぶり組は奉納や行列の順番札とりに、数日前から山に入る。17日午前零時に仮受付。数組の「取締札」(とりしまりえんぶり)は、トラブルの防止、伝統的な礼儀作法が守られているか指導するなどの役割を担っている。
衣装や人数などの確認をし、各組の幟旗が順に立てられ、7時に番号札を幟旗の先端に取り付け、奉納えんぶりが始まる。組は親方・旗持ち・太夫・舞子・お囃子など20名ほど。30組をこえるえんぶり組。
山は太鼓や笛、手平鉦(てびらがね)、唄い手、太鼓持ちなどからなるお囃子でにぎやかだ。

 えんぶりは、種まきから始まる稲作の一連の動作をあらかじめ踊り演じて、豊作の願いを引き寄せる予祝行事「田植踊り」のひとつといわれる。江戸時代には小正月行事として大店や村内の各家を予祝して回っていた。
100組以上のえんぶり組があったといわれている。明治時代に入ると旧来の卑俗な習わしとみなされ禁止されたが、大沢多門らの尽力によって長者山新羅神社の「豊年祭」として復活したのだという。功績をたたえる頌徳碑の前で、えんぶり組は拝礼する。長者山新羅神社神輿渡御式に御供する。

 えんぶりは、田の土を平らにならす農具「朳」(えぶり)を持って摺(す)る(舞う)ことが名の由来という。太夫たちは、ジャンギと呼ばれる鳴子板(なるこいた)や金輪(かなわ)の付いた短い棒を持つ。
古態性をとどめる「ながえんぶり」の太夫(藤九郎)が手にする鳴子は朳、他の太夫は鍬台(かんだい)鍬(くわ)の柄を持つ。江戸時代帯刀を許されたことから腰に刀をさしている。ジャンギを地面に突き立てたり摺るようにしたり、烏帽子が地面につきそうなくらい身をかがめて頭を激しく振るなど、組ごとに摺りやお囃子がちがう。演目ごとに多彩なお囃子で、独特の舞が披露される。合間には、子供達のかわいらしい祝福芸が行われる。

 市内で一斉摺りが行われ、各組ごとに商店などでの門付けや公演が行われる。昔から豊作は人々の何よりの願いだった。大人から子供たちまで各組(町内)に伝えられてきたえんぶりという伝統文化を誇りに思い守り続けている。
土地の神様を目覚めさせるような勇壮な舞はもうすぐ春がくることを約束している。

 

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