VICの窓から

2023年1月

旧暦

 道の駅「田沢 なごみの郷」では、米の粉で作った紅白のだんごをだんごの木(ミズキ)にさして飾る 小正月行事 だんごさげが行われている。だんごの木は、だんごを多くつける事ができるように、大きく紅く細い枝ぶりのものが選ばれるようで、だんごをつける前に芽を欠いておく。
だんごを一枝一枝の先に刺すと、まるで花が咲いたようだ。

 俵や鯛、大判・小判などを型取ったふなせんべいなど、多彩な飾りで農作物の豊作、山や海の幸を祈願する。
外は白い雪。家の中は華やかに賑わう。

 14日はこもちの年取り。15日はこもちの正月といわれる。かつて月の満ち欠けと太陽の動きを 日付の基準としていた旧暦では、年の最初の満月の15日を望年(もちどし)と呼び、年の始めとしていた。明治になって新暦が採用され1月1日が年の始めとなり、正月行事が元日にうつり「大正月」と呼ぶようになった。
15日は小正月。だんごさげの他に積もる雪の中で雪中田植や、だんごのゆで汁を利用した成り木責め、さいと焼きなど、さまざまな予祝行事が受け継がれていて、生活の節目としての暮らしぶりをしのぶ事ができる。きっと皆で願う事は、心温まる楽しみでもあったのだ。

 水分を多く含むだんごの木(ミズキ)は、火伏せにもなるといわれている。また、だんごが割れるとその年は日照り、
割れないと雨年といわれていたそうだ。おろしただんごは油で揚げたり、おやつとして食べられた。

 1月20日は、二十日正月(はつかしょうがつ)ともいい、正月行事がこの日で終わると考えられている。
生活の節目となっている年中行事は簡略化され変容しても、豊かな意識は、私たちの暮らしの中に息づいている。

新暦

 明治時代、欧化政策で近代化が進められた影響で、西洋の技術や文化が取り入れられた。
新暦(太陽暦)の導入によって、明治5年12月3日が明治6年1月1日となった。

 明治9年(1876)にスタートした統一山形県初代県令三島通庸は、米沢から福島に至る万世大路など次々と道路開削を進め、土木県令とも呼ばれた。県内には、三島県令が残したものを見る事ができる。鶴岡市にある致道博物館には、三島の令により建てられた擬洋風の建造物が移築されている。明治14年(1881)創建された旧西田川郡役所と明治17年(1884)創建された旧鶴岡警察署庁舎。
松ケ岡蚕室などを手掛けた大工棟梁高橋兼吉があたっている。和風と洋風建築のそれぞれの文化を尊重し、融合させた。日本の伝統建築の魅力を意識して試行錯誤しながら結果威厳のある建物は町の景観に溶け込んでいった。近代化を進めるにあたって、これまでにない洋風の建物は新時代を象徴するものであったに違いない。近代的な装いに技と心をもって取り組んだ明治時代の人々の気概を感じる建物は、時代を超えて語り継がれている。

大寒波

 全国的に10年に一度の寒さが襲った。低い気温、水道管も凍結による被害が出た。
大雪、猛吹雪、ホワイトアウト、強い寒気はなかなか抜けない。寒波に備えるように呼びかけられている。

 スギの花粉も多そうだ。昨夏の暑さや日照時間など気象条件がスギの雄花の形成に適しており、冬の寒さにさらされることで飛散に向けた準備を始めるのだという。今年も万全な対策が必要と言われている。花粉の少ない苗木による植え替えや、花粉の飛散を抑制する技術開発などの対策が進められているそうだ。

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