VICの窓から

2020年7月

アブラゼミ

 地中で6年間という長い時間を過ごし、地上で羽化し成虫となったアブラゼミが駐車場のアスファルトの上に。黒色の体と茶色の模様のある羽は、木の幹の擬態に役立っているはずなのに。セミの多くは羽が透明だが、羽全体に色がついているのは珍しいといわれる。ほどなくして、近くの樹木の方へ飛んでいった。

 気象庁が行う生物季節観測には、アブラゼミの鳴き声を初めて聞いた日も生活情報の一つとして利用されている。アブラゼミも樹木が減り、鳥類に食べられやすくなったり、環境の変化によって、減少が報告されている地域があるそうだ。もうすぐ蝉時雨の時期がくる。

 

境界

 夏でも雪が残る飯豊山。福島県の細長い県境が、山形県と新潟県の間にある。かつて、会津藩領であった東蒲原郡が、明治19年(1886)新潟県に編入されたことから、山岳信仰の対象となっている飯豊山神社の参道が、新潟県に組み込まれてしまうことに紛争がおこった。明治40年(1907)裁定が下され、山頂付近まで細長い県境ができたという。

 

奥阿賀

 東蒲原郡阿賀町鹿瀬地区。集落を縫うように流れる阿賀野川。県境を越え、上流の福島県側では、阿賀川と呼ぶ。会津側と越後を結ぶ川は、かつて木材を運ぶ筏流しが盛んで、難所の岩場の整備に生涯をかけた湯殿山行者全海上人が知られる。
川向うの集落へは渡し船で。流域の人々の暮らしは阿賀野川と深く結び付いていた。

 

鐘馗様

 奥阿賀の鹿瀬地区には、五穀豊穣や無病息災を願い、ワラ人形を祭る迎春の行事「ショウキ祭り(鐘馗祭り)」が伝わっている。
平瀬集落では、川から流れてくる悪人や疫病を防ぐよう強い願いを込め作られたワラ人形がお坊さんのお経で鐘馗大明神になる。前年の鐘馗様は堂のわきで土に返る。直会(なおらい)には郷土料理が並ぶそうだ。
集落では、平成30年春、新潟大学の学生が参加した木製の鐘馗様がお堂に納められていた。年を追うごとに人手不足やワラの入手困難などで、存続への取り組みとなったという。

 夏渡戸(なつわど)集落では、一年間の村内・家内安全、災厄退散、子宝などを願って、男女一対2体の鐘馗様を集落の出入り口 上(かみ) 下(しも)のお堂に納めている。共同体に生きる人々の自然に対する畏怖の思いが、約400年もの歴史を築いてきた。

 河川の水質が流域の人々に大きな影響を与えたり、時代と共に川と関わる暮らしも変化してきた。
多くのトンネル開削や橋梁敷設などの難工事の末、大正3年(1914)待望の鉄道路線 岩越(がんえつ)線が開通。大正6年には磐越西線に改称される。日出谷集落と平瀬(びょうぜ)集落を結ぶ阿賀野川当麻橋梁(たいまきょうりょう)には、旧橋脚が残っている。線路の上には電線がない。ディーゼル車が走っている。

 豊富な水量を誇る阿賀野川水系は、水力発電所が多い。山間地域での大規模なダム建造の為、豊実駅は大量の資材搬入基地として機能したという。豊実発電所は昭和4年(1929)に発電を開始した。

 交通の利便性・安全性などの役割を担う橋梁建設は、川向うの集落とを結び、山間地域の生活を支える。川と山里の風景が主役になるような景観を創り出している。

 

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