VICの窓から

2022年5月

田代沢の鹿島様

  国道107号線。岩手県西和賀町との県境に大きな鹿島様が立っている。田代沢地区では、享保年間(1716~36)ころ、疫病が蔓延し、多くの死者を出した為、村境に鹿島様をたて疫病退散を祈願してきたのだという。昭和45(1970)年、集落の集団移転とともに現在地に移り、
以降も衣替えと祭礼を行い、守り続けているそうだ。ドレスのようないでたちで、足は見えない。帯刀した身の丈は4m50cm。コロナ禍のマスク姿で国道107号線を向いて、睨んで通せんぼをしている。
集落の境にあり、疫病などの侵入を防いで、悪霊を追い払い人を守る。道祖神と同じような意味も込められている。
現在は、交通安全・家内安全・子孫繁栄なども願われているそうだ。

花山村寒湯番所跡

 仙台領と秋田領を結ぶ道は、いずれも奥羽山脈を越える険しい道だった。その一つ、小安街道は奥州街道築館から花山峠を越え、十文字で羽州街道に合流している。仙台藩側では仙北通り、秋田藩側では稲庭・増田街道などと呼んでいた。仙台方面から海産物・金物などが、秋田方面からは川連漆器・煙草などの物資が運ばれるなど交易が盛んな道も、藩境の花山峠は(標高741m)馬が通れないほどの難所で10月より
3月までは、積雪人足叶わずであった。現在は国道398が通る栗駒山の南西麓には、平成20(2008)年岩手・宮城内陸地震、
平成23(2011)年東日本大震災と2度の震災を乗り越えた温泉宿がある。花山峠を越えると秋田県小安峡温泉。峠は冬期間閉鎖となっている。

 天正18(1590)年、開設と伝わる仙台藩花山村寒湯番所跡がある。安政2(1855)年に建て替えられた四脚門、安政4年に建てられた境目守の役宅などが残る。往来する人々と荷物の検問が行われた。代々境目守を勤めた三浦氏は、農業や温湯(ぬるゆ)温泉の湯守もしていたという。

増田町の内蔵

 小安街道沿いにある増田町は、水沢とを結ぶ手倉街道が分岐する場所でもあり、物流の拠点として栄えた。
明治以降も生糸や煙草などの産業、水力発電、鉱山開発などによって、商業地として繁栄した。
その町並みは、伝統的建造物として保存されている。敷地は通りに沿って短冊型に割られていて水路からは奥行きが見通せる。
裏口には外蔵(とぐら)や門塀があり、裏通りの町並みとなっている。

 土蔵は火事による延焼を防ぐという役割もある。豪雪に対応するため店舗兼住宅である主屋と内蔵(うちぐら)を連続した上屋という大きな屋根で覆っている。その為、町並みからは内蔵の存在はわからない。内蔵の前の広場、内蔵脇に主屋から続く土間、高い場所の窓など建物の中は広い空間がつくられている。

 磨き上げられた黒・白漆喰塗の壁や、繊細な組子細工や意匠。当時の大工や左官職人たちの卓越した建築技術の内蔵が堂々と構える。

内蔵は物品を保管するための「文庫蔵」や家族だけの生活空間「座敷蔵」として代々大切に使われてきた。現在も生活の中で使われている。
それぞれの家々の説明を聞きながら内蔵の見学ができる。

 

 

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